ジャズの誕生の歴史

ピアノブームとその社会

 19世紀末に白人上流社会(HIGH SOCIETY)のステータスシンボルとして爆発的なピアノブームが巻き起こり多くの家庭にピアノが普及しますが、音楽教育等はまだまだ限られた社会だったのでピアノが有っても弾ける人は存在しない。そうなると当然その家の主(あるじ)としては自分の娘に対し、無理強いのピアノ教育を強要する。一方娘の方はそのレッスンから逃避する手段として、その家の黒人やお手伝いや召使いを呼びピアノに無理矢理触れさせ、「ベスやジョーが触ったから、もう私はピアノなんか弾かない!」等と難癖をつけ拒絶する。 そんな社会での黒人にとっての「ピアノ」と言う楽器は白人と共に実に憎き象徴の一つだったのです。B・ボールデンはバンド仲間や周囲の人々の猛反対意見を敢えて押し切り自分のバンド編成にこのピアノと言う楽器を取り入れたのです。

勿論音楽的見地から見るとジャズにピアノと言う楽器は非常に重要な楽器ですが(後から考えれば当たり前の話でも)当時の情勢下でピアノを用いた編成をするのはとんでも無い発想だったのです。一説では、これは彼の白人社会に対する強烈な反骨精神の表れと言われ、この間違い社会に対し常に敢然と立ち向かう「反骨精神」と「音楽に対する情熱」を貫く彼の姿勢はその後のデキシーランドジャズサウンドにしっかりと受け継がれて行きます。

ラグタイムバンドの登場

 ピアノは有るが鳴らせない、そこでそのピアノを鳴らす手段としてロールペーパーを使う自動ピアノ演奏装置が19世紀後半に登場しこれが一層大ブームとなり、当然そのロールペーパーがこれ又爆発的に普及しどの家庭でもベートーベン、バッハ、ブラームス、シューベルト、モーツアルト、リスト、ワーグナー、シューマン、シュトラウス、ショパン、チャイコフスキー…と数多くのクラシック音楽を気軽に楽しむ事が出来る様になります。

やがてそんなクラシック音楽に飽きてきた一般大衆向けに発売された斬新で目新しい今までのビートに比べてややタイミングがずれると言う意味の「ラグタイム」と言う音楽が世に登場します。

後に「ラグタイムの父」と呼ばれる「スコット・ジョップリン/SCOTT.JOPLIN 1868〜1917」が1899年に書いた「メイプルリーフ・ラグ/MAPLE LEAF RAG」を始めとしたラグタイム(RAGTIME MUSIC)のメロディーがロールペーパーを通し巷で大ヒットとなります。

このヒットにあやかりB.ボールデンは彼のバンドの名を「ラグタイムバンド」と命名します。ジャズがその呼び名を「ジャズ」と呼ばれるまでの数年間はこの種の新しい音楽を人々は”ラグタイム”と称していました。

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