ジャズの誕生の歴史

デキシーランドジャズの誕生とその歴史(その2)

ここまではアメリカ南部N.Oの歴史、黒人奴隷の生活環境から生まれた生活音楽、デキシーランドの呼び名の由来、ミンストレルショーや黒人霊歌の登場等々ジャズ誕生の前段階の話でしたが、ここからはいよいよジャズ原形が誕生する19世紀末期の話です。

今までにない音楽(ジャズ)の誕生

 今から100年以上前の19世紀末期の話となると皆様には余り馴染みがないと思われますで、少し日本のその時代と比較してみましょう。

アメリカでは19世紀の初頭から既にミンストレルショーや数多くの大衆音楽が巷に溢れていました。1800年中頃には既に「ヤンキー・ドゥードゥル」や「デキシーランド」等の曲は人々に知られていたようです。

 こちら日本の1853年(いやでござんすペリーさん)は江戸中が大騒ぎとなる大変な年で、あのペリー提督がやってきた「黒船襲来事件」で240年以上続いた江戸幕府の鎖国時代が幕を閉じる壮大なドラマが始まった頃です。

 この頃のアメリカでの大事件というと南北戦争(CIVIL WAR 1860〜65)で、そのときの北軍の応援歌が皆様よくご存じの「リパブリック讃歌/BATTLE HYMN OF THE REPUBLIC」です。その2年後1867年に日本の徳川幕府は鎖国を解き翌1868年「明治維新」となり、新政府は西洋文化を積極的に取り入れる教育作りのため”伊藤博文”始め多くの海外使節団員を西洋に送り、明治3年には文部省の原形が発足し、海外からの資料を整理し学校教育の原形作りがスタートしますが未だ音楽授業は無く、実際に音楽の重要性を認め授業に取り入れるようになったのはそれから20年近く経った明治22年からです。

 一方、アメリカでは既にヨーロッパから数多くのクラシックメロディーや様々な音楽が入ってきており、それらに加え、ミンストレルショーやヴォードビルブームによって数多くの軽音楽が巷に流行、更に爆発的人気を博した黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)ブーム、軽快なスーザーの行進曲(マーチ)やフォスターの心優しいメロディー等が巷に氾濫していたそんな時期の日本での巷のはやり歌と言えば皆さんご存じでしょうか?

 勝利した官軍の歌「ドンパン節」です。文部省が明治22年に音楽授業を取り入れたときの唱歌の最初の曲は「みやさん、みやさん」でした。

こと洋楽に関して言えばアメリカと日本の音楽環境レベルがあまりにも違うのが皆さん容易に想像できるでしょう。

 異なる環境の中から生まれる異なる音楽の必要性、そこから必然的に生まれてきた音楽、それが後に「ジャズ」と呼ばれる音楽の宿命だったのかもしれません。

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