ジャズの誕生の歴史

ミンストレル ショーの功績(つづき)

皆様の心に焼き付いているこれらの美しいメロディーは勿論、アメリカ人の心のメロディーとなりそれまで知られていなかった「黒人奴隷」の存在を世に知らせたのです。

この美しいフォスターメロディーが瞬く間に人々に知れ渡ったのは、ミンストレルショーの興行巡業が全米各地隅々まで出向き、多くの人々にクラシックとは別の音楽(ポピュラーソング)の素晴らしさを広めた事で、日本では余り馴染みのないこの「ミンストレル ショー」が後のジャズ誕生の前段階で実に大きな功績をもたらしたのです。

ジャズ誕生の前段階

19世紀に入るとこのフランス統治のアメリカの中の異国N.Oに大きな変革が起きます。良港に恵まれ、三日月の形をした(ニューオリンズの別名はクレッセント〔三日月〕シティー)すばらしいこの地を各国が競って利権を争い、東西地区を分割する等の歴史を持ちますが17世紀後半正式にフランスの領有が決まり、時のフランスの王様ルイ14世の名にちなみこの地を「ルイジアナ/LOUISIANA」と呼ぶようになりました。所が1803年に突然時の皇帝”ナポレオン”が合衆国に僅か1800万ドル(推定64億円?)で売却してからこの土地は合衆国の土地となりました。

スペイン、フランス等のヨーロッパ古典文化を基盤に繁栄してきたこの町に突然アフリカから数多くの黒人奴隷が加わり、そこに急遽アメリカの法律が施行されるという実に摩訶不思議な土地が生まれその変遷で必然的に生まれてきた新しい音楽ジャズ誕生の前段階ですが、そこには実に複雑な要素が絡み合っていたのです。

1860年に南北戦争勃発、1865年リンカーン大統領率いる北軍が勝利し「奴隷解放」実施、日本は1603年から340年以上続いた「鎖国]が解かれ1868年には明治維新へと移り変わる正に世界中が激動の時代、アメリカ全土ではフォスターの心優しいメロディーとスーザーの作曲した軽快なマーチが大人気。(ワンステップからツーステップの時代)

そんな社会に新しく黒人が作り出した「グループ/GROOVE」と呼ばれる4ビートの音楽が登場し19世紀後半へと話は進んでいきます。


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