VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話

ストーリービルの花形はピアノマンだった(つづき)

時として人種の違い等から女の方で受け付けられなかったり、金額面等で揉める事がしばしばあって、或いはその客が金持ちか貧乏か、常連客か一見(いちげん)の客か、等々の判断を瞬時にして対処する。若しそのお客が”一見で金持ち”と判断したら飛び切り高い女の値段を付け店一番の美女を用意し最高の部屋”ローズ・ルーム”にご案内するし、その反対の超貧乏が来ても決して店から追い返したりせず(そんな事が揉め事の原因)それなりの価格とブス女を提供し、道路脇で毛布一枚という条件で話をまとめたりする。だから”夜の蝶々さん”の一定の値段なんぞは存在しなかったのだが、こう云った賭事的やりとりが巷では結構評判を集めていたので売春宿の成否はピアノマンの腕次第とさえ言われていたそうだ。」

「この様にお客にとってもそして”夜の蝶々さん”にとっても大切な存在だったバンドマン、取り分けピアノマンは大いにもててもててその結果、殆どが重い梅毒に冒され皆早くおっちんじゃったのさ!」とクリフお爺ちゃんは笑って話してくれた。

このクリフお爺ちゃんにここベイズン・ストリートの一角で美人のルル・ホワイトが経営していたと言われる当時の有名な売春宿「マホガニー・ホール」はどの辺ですか?

と尋ねたところ、クリフ爺ちゃんの返事は「それは私も知らない。」

ここで私は改めて100年という時の長さを実感させられました。

クリフお爺ちゃんと別れる時に「又、お話を聞かせてください」と春川が言うと、彼はしっかりと私の手を握りしめながら「そうさなぁ、わしもそんなに長くはないよ、だけど春川!これだけは本当だし信じてくれよ」と真剣な眼差しで「わしはなぁピアノが弾けなかったんだよだからわしは梅毒で死ぬんじゃぁないよ!」

  MANY MANY THANKS, UNCLE CLEFF!

ジャズ誕生の源は売春宿ではない!

◎このクリフお爺ちゃんの話で判るようにジャズの源は一般的に、「ちょっと怪しい場所」から生まれ出てきたと言うマイナー感覚の説が常識となっているが、最近になって売春宿で演奏されていた質の音楽とジャズの源となった質の高い音楽誕生のキッカケを生み出したのは全く異質な場所の異質な音楽だったと言う説が唱えられています。

『ジャズの父』「バディー・ボールデン」は当時のN.O「ストーリービル」の大ボスとして名を馳せた「トム・アンダーソン」の経営する店の「パーティー・バンド」として今までの音楽とは全く異なる演奏を披露しそれが絶大な人気を博し有名になったのです。
この評判を後に売春宿のプレーヤー達が一斉に模倣したのであって、真のジャズ発生場所は定説となっている売春宿レベルの音楽ではなく、かなり音楽性の高かったパーティー会場音楽が源だ!とジャズに覆い被せられた暗いイメージを払拭する説も唱えられている。

ニューオリンズには綿花畑は存在しない

湿地帯では栽培できない綿花

N.Oの町の生い立ちや奴隷の話になるとこの地ではさぞかし数多くの綿花畑が存在し黒人奴隷が沢山使われていた「プランテーション(農場)」が数多く存在していると思われがちなのですが、意外な事に綿花はミシシッピー川河口のデルタ湿地帯のN.Oでは全く栽培できないのです。湿地帯のN.Oで唯一栽培が可能だったのは”砂糖きび”だけなのにN.Oと言えば常に綿花といった印象が強いのは何故でしょう? この話をジャズ仲間の友人に尋ねたら、彼は「この近くに黒人奴隷を使っていたプランテーションが有るので実際に見に行けば良く分かる。」と言うので早速車で町から40Km程離れた(近く?)200人程の奴隷を使っていた元砂糖きび農場に出向いたのでした。


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