VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話

日本でも楽しめる本場のクレオールジャズ(続き)

この様に「ジャズ」の初期段階は正にクレオール人の独占事業だったのですが、1917年4月にアメリカの第一次世界大戦参入が決まり、それ迄21年間クレオール人によって栄華を極めていた「紅灯街⇒ストーリービル」が突如閉鎖、そして1920年代に華々しく世に登場するあの天才トランペッター「ルイ・アームストロング」(彼はクレオール人ではない)の台頭等でそれ迄の栄華を独占してきた”ジャズ”はクレオール人の手を離れ一人歩きして行くのです。

どれだけの栄華を独占していたかについて前述のトランペッターのジョン・ブルニァスさんに伺うと、彼が現在のN.Oで音楽活動をする時は「クレオール人がその時代のジャズを独占していた恨み、ねたみ等から白人サイドそして黒人サイド双方からあらゆる迫害を受ける」と彼の真実の心を話してくれました。

今から一世紀程前のクレオール人とジャズの関係の強さがここからも知る事が出来ます。

この第一世代クレオールジャズの先駆者B・ボールデン、F・ケパード、B・ジョンスン達の若き日のサウンドは録音技術が無かったので残念ながら記録としては残ってませんが、1917年コロンビア社とビクター社から始まった電気録音式SP盤レコード時代が幕開けしジャズが世に知れ亘った暫く後になって創世記のジャズに関しての機運が盛り上がり、その時点で生存していたF・ケパードやB・ジョンスンの(若くはない)枯れた貴重な演奏録音が残っていますが第一人者であるB・ボールデンのサウンドは残念ながら残っていません。

「O・D・J・B/オリジナル デキシーランド ジャズバンド」を起用し大成功し世に登場したSP盤レコードは当初コロンビアとビクター2社が市場を独占していましたが1918年にジェネット社が独禁法裁判を起こし、その裁判に負けた結果、市場には沢山のマイナーレーベルが誕生しそこで数多くの録音がされますが、この時代は未だ著作権問題や販売ルート問題を始めとしたレコード業界の問題整理に時間が費やされ販売に至ったものは少なく、SPレコードの本格的稼働は実質的には1920年代に入ってから凄まじい勢いで始まりレコード会社(レーベル)は一気に50社近い数に及びました。

面白い事に2〜3年のレコード幼少時代の録音はプレスし販売する僅かな期間にも世の中の録音技術がどんどん向上したので多くはお蔵入りし、1920年代から始まったデキシー第一黄金期では一切日の目を見なかったのですが、1930年代後半にジャズがやや下火傾向を示し始めると各社が一斉に「ジャズの歴史」路線を打ち出しこの時代の音質の良くない出来の悪いサウンドがお蔵から引っ張り出されて日の目を見る事になるのです。(リバイバル・ブーム)

コロンビアとビクターで歴史上初のジャズ録音をした白人の左利きコルネット奏者N・ラロッカのオリジナル デキシーランド ジャズバンド(O・D・J・B)の演奏は間違いなくN.Oを源としていますが人々からはN.Oジャズと呼ばれずむしろ「トラッド/TRAD(古典の)ジャズ」とか「デキシーランド ジャズ」と分類されています。


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