VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話

N.Oジャズとデキシーランドジャズの違い(続き)

例えばデキシーランドジャズに親しんでいくと必ず「N.Oジャズとデキシーランドジャズの違いは何?」と言った様なテーマが良く論議されますが、これも100人の評論家がいれば100通りの意見が出て当たり前です。これは私から皆様への提言ですがこの様な時には皆様ご自身が自由に判断され、そして大事なのはそれを大いに楽しむ事が「デキシー」と楽しくつき合う一つの方法です。その材料にこのジャズ”よもやま話”を綴ります。

クレオール人によって築かれたジャズの芽

クレオール人とは白人と黒人の混血の人達の一般的な呼び名ですが、N.Oをフランスが統治していた頃のフランス人、スペイン人農場主や農場関係者の白人達と黒人奴隷女性との間に生まれた一握りのクレオールの子供達の中には、特別なエリート扱いを受けフランス留学をさせる事等が大いに流行った時代があり、南北戦争以前の19世紀中頃にはその流行は頂点に達しアフリカからの黒人とは一味異なる「クレオール人」として正規の教育学問を学び音楽教育等もしっかり学んだ人々も多くいました。

その彼等の多くが後のN.Oの町作りや新しい音楽の台頭過程で皆指導的立場を担い、ミンストレルショー等が巷に普及し人々が更なる音楽を求めていた時代の1897年に登場した「紅灯街⇒ストーリービル」でジャズ誕生の母体が生まれる頃はこのクレオールの人々が音楽ビジネスの主導的権限を一手に握っていて、ジャズ誕生前段階ではこのクレオール人の”心”無くして「ジャズ」は語れません。

日本でも楽しめる本場のクレオールジャズ

東京浅草の「全国女将さん会」会長の冨永照子さんが毎年夏に10数年に亘り続けている「N.O・ジャズ・オールスターズ」の日本公演メンバーはN.Oのフレンチ・クォーターの名所「プリザベーション(保存)・ホール/preservation hall」で活躍しているクレオールの子孫達で構成され、リーダのウェンデル・ブルーニァス(10年前は兄のジョンが勤めた)さん始めメンバーの大半は生粋のクレオール人で「クレオールの香り」を充分楽しめます。

ジャズ誕生の前段階でクレオール人の残した功績は実に大きく、バディー・ボールデン、ジミー・ヌーン、キング・オリヴァー、バンク・ジョンスン、キッド・オーリー、ジェリー・ロール・モートン他多くのジャズ開祖者と呼ばれている人達は皆このクレオール人でトロンボーンのK・オーリーはこの伝統有るクレオールの心を大切にし、B・ボールデン⇒K・オリヴァーから受け継いだ自分のバンド名「クレオール・ジャズバンド」を生涯踏襲しました。この様に「ジャズ」の初期段階は正にクレオール人の独占事業だったのですが、1917年4月にアメリカの第一次世界大戦参入が決まり、それ迄21年間クレオール人によって栄華を極めていた「紅灯街⇒ストーリービル」が突如閉鎖、そして1920年代に華々しく世に登場するあの天才トランペッター「ルイ・アームストロング」(彼はクレオール人ではない)の台頭等でそれ迄の栄華を独占してきた”ジャズ”はクレオール人の手を離れ一人歩きして行くのです。


前へ 目次 後へ