VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話

ニューオーリンズよもやま話(パート1)

デキシーランドジャズ誕生とその歴史(その4)

ここ迄はN.Oの町の紹介と20世紀に入った「ジャズ誕生」の話でしたが多くの読者からN.Oの話が面白かったのでもっと多く取り上げて欲しいと言われましたので今回はその線で話を進めて参りましょう。尚この話にはN.O在住30年以上のMRS.MITSUKO KENNAIR(ミツコ・ケナヤ)さんにご協力をお願いしました。彼女は当時でプロ・ツアーコンダクターの仕事をして活躍と同時にN.Ono歴史について研究者としても”ひとかどの人”です。

N.Oジャズとデキシーランドジャズの違い

デキシーランドジャズを楽しんで行くとそのスタイルが実に数多いのに驚かされます。

どのバンドも皆各々独自の味付けをして聞く人を楽しませてくれますがそうなると「果たして、どれが本当のデキシースタイルか?」と言う疑問が湧き始めます。

ジャズは常に演奏者の感性で自由に表現が可能な所にその最大の魅力が有るのです。

ですから、仮に、100のバンドが有れば100の自由な演奏スタイルが有って当然で、これに「どれが真実のデキシースタイルか!」等と論じる事自体実は無意味なのです。

料理や宗教等と同様で各人の好みや評価というのは、その時の価値観で当然大きく左右され、ある時はそれが爆発的に或いは熱狂的に支持されある時は突然それが疎遠扱いにと、まるで生き物同様常に変化して行きます。今ではクラシック演奏と同様に譜面を用いたジャズ演奏も極当たり前ですが「ジャズ」は如何なる場合でもプレーヤーの個性を自由に”表現できる”或いは”表現する”点が最大の魅力なのです。

中国料理を例にしますと、有る人の中国料理とは「北京」料理を意味し、有る人にとっての中国料理は「広東」料理を意味し、「四川」「上海」「客家」「福建」「山東」「蘇州」「香港」「台湾」・・・仮にこれこそが中国料理の源流だとしても、それすら無数に存在しそこにその時代の作法やしきたり等の違いを加味し「皇帝料理」「家庭料理」「接客料理」等々と分類していったらそれこそキリが有りません。

更にその材料の吟味、そしてそれを料理する道具や職人の味付けの仕方次第で如何様にも変化します。

「それはそうだが・・・・・」と人は何かと気休めとなる「安直な決まり(ルール)なるもの」を求めたがるもので、それが例えあやふやで曖昧でもその時点で人々が納得(?)理解(?)し易い事を上手に解説すれば、もうこれは一丁前の料理評論家或いはジャズ評論家扱いを受けるのが世の常ですが、どれも大した意味は無く大事な事は貴方自身がその時食する人として或いは聞く人としてそれを満足し、心休まるかどうかです。


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