VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話
家族愛を大切にするフランス人農場主(つづき)
- 「フランス系」農場主の多くはカトリック教が主体で、そのカトリックの教えは“結婚は神聖なもの”で例え黒人奴隷であろうともその部分の否定はしなかった。
- 「スペインやポルトガル系」は奴隷の労働を支配はしたが心の束縛をする事はなかった。
- 奴隷にとって最悪なのは“一般的なアメリカ人”と称される多数派の「イギリス系」の人々の物の考え方で、彼等の殆どはプロテスタント教で(ヨーロッパでは古くから奴隷制度が存在していた。)
“奴隷とは道徳的に弁護の余地の無い堕落した人間”と身勝手に位置づけ“肉体だけでなく精神も支配しなければ生きていけない劣った人間”と決めつけていたのです。
少し話が脱線しますがこの時代から2世紀後の21世紀2003年に国連安保理の採決を無視して戦争を強行するアメリカ、それに伴う各国の見解の相違で特に注目されるのがフランス、イギリス、スペインの主張でご存じの通りフランスは非難に廻り、イギリスとスペインはアメリカに同調の姿勢が見られますが、ここでは2世紀前の奴隷に対する感覚対応と同じ構図が繰り返されているのが良く解ります。(歴史は繰り返す。)
- 1712年からの奴隷貿易でアフリカから連れて来られ、N.Oの悪名高い「奴隷市場」で売買されアメリカ各地に連れて行かれた奴隷達に対して白人社会は彼等に何一つ同情する気持ち等は見られませんでした。
ミンストレル作曲家の「ジェームス・ブランド/JAMES BRANDT 1854〜1911」が南北戦争以前に書いた「懐かしのバージニア/CARRY ME BACK TO OLD VIRGINIA」は誰もが知っている美しいメロディーですが、この曲のテーマである年老いた黒人奴隷が「私の故郷バージニアに連れてって」と言ったバージニア賛歌的なこの曲は白人の身勝手な思い上がりの発想であり、黒人の本当の故郷は無理矢理連れて来られたこの地なんかでは無く、彼等の心の故郷はいつも夢に見るアフリカの大地だったのです。
しかし当時はこの曲の美しい旋律故大ヒットとしますが、黒人にとってこれは耐え難い事で今の時代でも彼等の前でこの曲を口にするのはご法度です。
- 1931年ジャズ史上最大のコルネット奏者若く(28歳)してこの世を去った「ビックス・バイダーベック/LEON BIK BEIDERBECKE 1903〜1931」(2003年はビックス生誕100年)のヒット曲に「バージニアのお家に帰ろう/I'M COMING VIRGINIA」と言うのが有りますがこちらは奴隷の子孫も既に 4代目となり、心の中に自分が生まれたバージニアを本当の故郷としていた黒人も数多くいてプラントの「CARRY ME BACK・・・」とは違いこの曲は多くの黒人達にも理解され愛されたのです。B・バイダーベックはこの曲で黒人演奏家からも評価を得、ジャズプレーヤーファンを数多く作り彼は恐らく最初で最後の「黒人プレーヤーさえもが見本とした白人ジャズプレーヤー」として後生に語り継がれています。