VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話

世界中から何でも手に入ったN.O(つづき)

そして解った事は

この様にこの時代のN.Oは既に世界中のどの港とも直結していて陶器が欲しければ中国から、何々が欲しければどこどこの国からと「お金」さえ有れば何でも自由に手に入る現代社会と全く同じ構図が既にできあがっていた事がこの「蚊帳」一つから察する事が出来ます。「仮に、その国が身勝手な鎖国をかたくなにしていようと、いまいと関係なく。」

家族愛を大切にするフランス人農場主

その娘さんの部屋から少し離れた別の部屋が書生奴隷(クレオール人)の部屋だと知ってこれ又びっくり、ここではフランス人農場主の黒人に対する感覚がしっかりと存在していました。

一般にこの地区のフランス人農場主はカトリック系の宗教に属し奴隷と言えどもその家族を大切にし(人間と認めていた)愛情を注いでいました。園内の200人以上の黒人奴隷の中には農場主が惚れ込んでしまう程の素晴らしい素質の娘もいて、そこから当然情が乗り移りそんな美しい若い娘に子供を産ませ我が子として育てるバックグラウンドがここに存在していたのです。農場主はこの子供達はアフリカ黒人とは違う“クレオール人”として、しっかり学問の機械を与えそれを実践していたのがこの「書生部屋」でここで学問を身につけた多くの若者が後のN.Oの町作りに大いに役だった事を知り実に感心させられた。

この奴隷に対する感覚の違いには大きな歴史の背景があって、この時代の白人の多くはフランス人、スペイン人、イギリス人、ポルトガル人等でしたが、この地がアメリカになった事で彼等は当然アメリカ人になりそこから多くの農場主が誕生しますが実際の奴隷に対する感覚は各々大きな違いが有りました。

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