『デキシーランド ジャズ物語』

一大歓楽街ストーリービルの閉鎖(つづき)

「ジャズ」という呼び名が巷でささやかれる様になったのは1913年頃からと言われ、その語源については諸説有りますがどれも定かではありません。

当初の演奏場所はN.O始め全米各地の(売春)歓楽街を中心とした極限られた特別な地域だった為、この音楽を知っていたのはこれ又限られた僅かな人々だったのです。それ故各地の歓楽街で殆ど同時発生して出来たこの音楽のスタート時期や特定場所を限定するのは不可能ですが、ここに誰もが認める一つの歴史的な出来事が登場します。

初めてのジャズ録音

 1877年エジソンが蝋版式蓄音機を発明、これにより人類は音の保存が可能という時代に入りますが、まだジャズの様な激しいサウンドを記録する技術に達するには時間を要しました。この発明から30年後の1917年になって格段に音質の良い”電気録音方式”がレコード会社のコロンビアやビクター等で開発されそれに見合う何か目新しいサウンドは?と各社が物色している時に当時シカゴでブームを巻き起こしていた「デキシーランドジャズ」にその白羽の矢が当たります。この時はシカゴで演奏していた1908年結成以来様々なバンド名でN.Oで演奏していた左利きの白人コルネット奏者ニック・ラロッカ率いる「オリジナル・デキシーランド・ジャズバンド/ORIGINAL DIXIELAND JAZZ BAND」をコロンビア社がN.Yに呼びその4日後にビクターで4曲録音しその僅か7日後に一枚75セントで発売したところ、一枚目のSP盤「リヴァリー・ステイブル・ブルース/RIVERLLY STABLE BLUES」とオリジナル・デキシーランド・ワンステップ/ORIGINAL DIXIELAND ONE STEP」が大反響を呼び世に一大センセーションを巻き起こします。

当時の白人社会では黒人をレコーディングスタジオに入れて(ましてやジャズの)録音をする事等はとても考えられなかったので黒人の演奏をヒントに、デキシーランドジャズの虜になっていた白人演奏家の演奏がともかくも”歴史上初のジャズ録音”となり発売されたこの2枚のレコードが大ヒットとなります。

 E・プレスリーがロックンロールを引っ提げ登場した時やビートルズが世に登場する時と同様いつの時代でもそうですが決まって、時代について行けない年寄りや保守的なおばちゃま達の”さもしいモラル”によってこの音楽は”卑猥な音楽”と決めつけられますが、白人の若者達が真っ先に飛びつき当時50ドル程のサウンド・ホーン型音響アンプ式の手巻き蓄音機がどの家庭にも普及し始め空前の”レコードブームが巻き起こり始めます。

ジャズはここで初めて一般市民権を得、晴れて「ジャズ誕生」となり、ここからジャズの原点「デキシーランドジャズ」の第一黄金期が始まるのです。

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