激動の20世紀の幕開け(つづき2)

一大歓楽街ストーリービルの閉鎖

B・ボールデンの「ラグタイムバンド」が町中の評判になると多くの仲間が同じようなバンドを結成し、世の中は20世紀を迎えます。

ジャズ誕生の話でそれがどの時期の、どのバンドなのかを正確に限定するのは難しい事で未だにその結論を出した人はおりません。

この時代既に活動していた先駆者達の誰もが仮に「我こそが最初だ!」と豪語したとしてもそれは決して間違いでは無いほど数多くの人々、或いは多くの場所で後にジャズと呼ばれる音楽は演奏されていたのです。それはあたかも自然発火の野火が燃え広がる様にこの激動社会に拡がって行ったのです。この自然発火の起点となったN.Oの町には1897年に突如一段赤線歓楽街「ストーリービル」が設けられ、ここだけは別世界の繁栄を成し日夜ジャズが溢れクレオール人にとって正に「この世の天国」が築き上げられていたストーリービル「21歳」の1917年4月になって突然アメリカの第一次世界大戦参戦が決定、時の海軍と陸軍大臣のプライド合戦が始まり「我が軍の駐屯地の傍らに”売春歓楽街”なんぞがあっては士気に影響する! 12月までに撤去を!」と先ず陸軍大臣が撤去命令を発表すると負けてはならぬと、海軍大臣からは「それでは遅い!10月までに退去を!」等と言い出し、そこに時の市長が偉そうに割り込み何だかんだと議論、結局未曾有の栄華を誇っていたストーリービルはその年、1917年12月12日に完全に閉鎖されてしまったのです。

これで大痛手を受けたのは(登録をしっかりと受けていた)2200人程の「夜の蝶々」さん達とまだ一般には殆どしられていない”訳の分からない、怪しい”音楽で生計を立てていた多くの黒人音楽家達でその日からのお仕事が全く無くなってしまったのです。

「夜の蝶々」さん達に対しては教会の婦人幹部やルイジアナ婦人クラブ等のおばちゃま方がこれ又偉そうに「売春救済委員会」なる物を作り、救済活動をせっせと開始しますが「夜の蝶々」さんの方は誰一人この救済活動の入口をくぐらなかったと報告されています。

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