『デキシーランド ジャズ物語』

VOLUME 2 ニューオーリンズよもやま話

黒人に写るフォスターの曲(つづき)

最初の方で話をした数有る農場主の中には奴隷の家族構成を気にする人や屈強な男性奴隷に女性を宛がう政策に気を配る人もいたのですが、殆ど全ての農場主に共通していたのは奴隷に対する思いやり等全く有りません。アフリカから船底に詰め込まれ長旅でN.Oに着く前に立ち寄る西インド諸島方面で売られて行った数多くの(600万人を超える)奴隷達の多くは労働力確保の男性だけでしたので彼等の社会では「ブーズー教と共にゲイ」が広まっています。現在のN.OのF・クォーター界隈を歩いてちょっと注意してみると実に多くのゲイを誇示する旗を掲げた店が有りますが、西インド諸島出身のニグロが多いのです。こんな事を述べて、これでは西インド諸島の男性やプロ手スタンド教白人始め読者の皆さんからお叱りを受けると思いますが、決してその国の人々を蔑視したりその時代の出来事を非難しているのでは有りません。

ちなみに、この時代この地のこの様な環境下で貴方がそこの農場主だったら「奴隷」とどのように接していたのでしょうか?   どうぞ想像して見て下さい。

フォスターのもう一つの名曲「ケンタッキーの我が家/MY OLD KENTUCKY HOME」の中の「OH!

WEEP NO MORE MY LADY!」と言うくだりから、ここの農場主がアメリカンドリーマー病に冒された銭儲け人間だったのが想像できます。フォスターは「もう、お嬢さん泣かないで!」と歌詞を書いていますが、深く入るとその家の奴隷の女の子が失敗の度にムチ打ちされる光景から写し出される心無い銭儲けの社会の現実の姿を美しいメロディーにし訴えていたのですが、・・

この問題は奥は深く、何れにせよ殆どの黒人がフォスターの曲を表面的には喜べない理由がここにも潜んでいるのです。

前へ 目次 後へ