ジャズの誕生の歴史

デキシーランドジャズ誕生とその歴史(その1)

 「ジャズ」はアメリカ南部のルイジアナ州ニューオリンズの町から全世界に広まった20世紀を彩るアメリカが世界に誇れる素晴らしい財産の一つです。
このジャズの源となる「デキシーランドジャズ」は今でも全世界で多くの人々に愛されていますが、その期限を溯りますとこのN.Oでの出来事が多大であることは否定できません。
そこでこのN.Oの町の話から始めましょう。

ニューオーリンズの歴史(1300年代〜1700年代)

 N.Oは合衆国南部の大河ミシシッピー河、河口の肥沃なデルタ地帯に位置し極めて良港として恵まれた地形だった為かなり古い時代からここには人々が住んでいたと言われています。一説にはかなり以前にバイキングがやって来たと言われていますが、14世紀の世界植民地奪取時代にこの地にスペインが一番乗りしそれから300年程はスペインの領地でした。1600年代になりこの地をフランスが統治する様になり多くのフランス人が移り住みフランス文化の香りのする美しい町へと発展していきます。
今でもこの町の一角にスペイン情緒、フランス情緒と異国ムードが漂うのはその時代の名残なのです。1712年にこの地の主要産物の綿花畑での労働力確保のためアフリカから黒人を奴隷として連れてくる制度、いわゆる「奴隷制度⇔奴隷貿易」が始まりそこから僅か13年程で、N.Oの人口は5000人を超す程に膨れあがりその大半の2500人ほどがニグロで占められ一変してこの町は黒人労働者の町と化したのです。ここで一つの大きな問題が発生します。時の白人(スペイン人、フランス人)農場主は労働力確保にやたら屈強な黒人男性ばかりを優先して集めたので子供が出来ない。そうなると凶暴化のおそれがあると判断したフランス政府は問題解決に急遽フランス国内の刑務所に服役している女刑囚や巷の売春婦を集めて、N.Oに送込み、無理やり結婚させる政策を取入れこの悩みを解決したのでした。
「奴隷制度⇔奴隷貿易」や「囚人女性の結婚条件付異国移送」等の話は今では無茶苦茶で信じられない話ですが、当時のフランス人気質は全てが大らかだったようでこれらの政策はむしろ人々に歓迎されていたようです。
こうして黒人男性と既にこの地にいたスペイン女性やフランス人女性、更に後に連れてこられた黒人女性と農場主や農場関係者等々の白人との間に生れた混血第1世代の子供達は皆「クレオール人」と呼ばれ、その後のこの町の発展、そして後のジャズ誕生とその発展に大きな足跡を残すことになります。


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